今週は「日本人と愛国心」というテーマで4回に渡りテレビで特集を組まれていた。
愛国心。
「僕は日本人なのですが人に聞かれると、どうしても日本が好きとハッキリ答えられないんです。僕はいったい日本の何処が好きなんだろう?」
番組に寄せられたあるコメントなのですが。
僕も以前同じ事を考えた時があった。
僕は8年前、上海に2年程留学していた事があります。
当時、日本人もさほど多くはなく、いろいろな国の人達と交流する機会が多くありました。
中国、韓国、アメリカ、ロシア、フランス、アフリカ、イギリス、フランス、ドイツ、アジア各地等…から来た留学生達。
その誰もが多く愛国心を持っていまして、時には熱く口論になる事もありました。
必ず仲裁に入るのは日本人の僕達だった。
国を隔てた者同士が初めて言葉を交わす時、必ずと言っていいほど自国の話になる。
自国の歴史を良く理解し、各々の意見を持った人間と語らう時、自分の国の事を全然分かってない事にひどく恥ずかしかった事を覚えている。
彼らはそれに誇りを持って生きているからだった。
あらゆる文化の違いがあって、それは国の思想や宗教など。
タブーもあり、それを知った上で語り合えない人達もいて驚いた。
昔からロクに勉強もしなかった高校生が渡った海の向こうはすごくリアルだった。
世界の歴史に興味を持ったのもその時からで、今まで何も知らずに同じ時を過ごし、何故か裕福にその場にいる事。
自分の事ながら、日本人として本当に日本の教育は正しかったのかと考えてしまった。
こんなヤツを世界に出していいのか日本!?て。
日本の好きな部分?自分=日本?
当時の僕は、
自分のバンドが馬鹿にされる=怒る。
自分の単車が馬鹿にされる=怒る。
日本が馬鹿にされる=……。
………。
まぁ、でもこれには個人差があると思いますけど…。
近年、ワールドカップから始まったと言われている「プチ・ナショナリズム」と言われるモノが、ここ何年かで形を変えてきているようだ。
それだけ自国への意識と関心が増えてきているワケで、ある意味理想な形に近づいているのかもしれない、だけど…。
最近場所を選ばずいろいろなところで議論を良く見かける。
それを見ていると議論というよりは非難や挑発などもすごく多い。
知識は必要な物だと思う。
だけど、それでもそういった場所で返す言葉はもっとたくさんあると思う。
いくらでもネガティヴに考える事はできる。
でもここは人と人が住む世界なわけだから。
筑紫哲也さんは言っていました。
逃げ込む事に愛国心を使うのはいけない。
この人の言葉は重い。
でも筑紫さんだってこの先何百年も生きていてくれるワケじゃない。
僕等の若い世代が頑張っていかねば。
僕はこの日本を、世界を、より良く変えていってくれるだろう人を何人か知っている。
真剣に今を考えている人達。
僕も役者というものを通して、何か出来る事はあるのだろうか?