この日は僕の役者としての師匠、ボブ鈴木さんと会っていた。
2年半前にも遡る出会いから、僕はこの俳優に役者として大切な事をたくさん教わった気がする。
「誰々の芝居が面白い!」という言葉をこの頃よく聞いていた。
その頃の自分にはその意味があまりよく理解できなかった。
シンプルに言うなれば、奇抜な発想からなる芝居にリアリティをつけて、それをやりきれるのがそゆいうモノなのかと。
この頃、自分の芝居はあまりダメ出しもされなかった。
かといって褒められていたワケでもない。
ある日、ボブさんに聞いてみると・・・
「純吉の芝居は悪くないんだよ、でも突出していいわけでもないんだなぁ」
といわれた事をよく覚えている。
つまり、器用貧乏な役者、当たり障りのないつまらない芝居、と勝手に解釈して悩んだ。
記憶に残る芝居、クセのある芝居、オモシロイ芝居、いろいろと試してはみた。
でも、結局あまり見出せない状況が続き、更に悩みは増えた。
そんな時にある仕事が決まって、悩みを抱えながら現場に入った。
そこでは芝居をしようとする事を抑制された。
そのままでいいです、と言われた。
自分のやりたいようにやって、結果、いろんな課題が残ったけれど、ある路が見えた。
それは、自分のやりたいようにやって、それをいいと言ってくれた人がいたという事だ。
それが安藤紘平さんとの出会いに繋がっていくワケなんだけれども・・・。
それからボブさんの下を離れ、自分なりに暗中模索しながら自分のやり方でやってみた。
自分は器用ではない。
360度あるとする役のふり幅をこなす事よりも、90度の中のふり幅が自分のやりたい、そして僕だけの路なんじゃないかと思った。
それからは同じような役だとしても、考え悩む事で自分なりに演じてきた。
そうすると、どれもみんな違う人間である事に気付く。
活字から想像するんだけれど、人間に同一人物なんているワケはない。
そんな簡単な事がすごくよく分かったんだ。
それから余計な迷いは無くなった。
そして1年の月日が流れ、ある現場で再会した。
そこにいたのは紛れも無い芝居の魔人、ボブ鈴木だった。
圧倒的な存在感、現場を支配するプロの俳優だった。
ただ昔と少し違ったのは、僕が弟子としてではなく、役者として芝居を通して対峙出来た事だ。
そこに緊張も遠慮もなく、ちゃんとぶつかれた気がする。
それからまた一年が経った。
完全なプライベートで会ったのは実は今回が初めてで、手料理をご馳走してもらった。
そしていろいろな話をしたんだけれど、僕がこの2年でやってきた事は全部理解し、認めてくれていた。
つまり、言葉で話すよりも僕自身が納得する方法を知ってのモノだったんだ。
これには参った!
どうやら僕は愛されていたみたいで、今、師匠と弟子の関係を卒業した僕を近い目線で向かい合って話をしてくれている。
きっといつまでも僕はこの人に惹かれるんだなと思ってしまった。
ボブ鈴木という俳優を、僕は心より尊敬します。